@article{oai:hirogaku-u.repo.nii.ac.jp:00000291, author = {木村, 紀美 and 大串, 靖子 and 早坂, 佳子}, journal = {弘前学院大学看護紀要}, month = {May}, note = {Article, 第二次世界大戦の戦況下,戦地での従軍看護婦の需要増大,一方,国内でも一般住民の保健医療に加えて戦争被害の救護のため看護婦の需要が増大,看護婦不足が深刻化しさまざまな形で看護婦の促成教育が行われた。その一つに,津軽地方でも6校の女学校が看護婦養成所の指定認可を受け看護婦養成を行っていた。このたびその内4校の女学校卒業者8名への調査を行った。いずれの女学校 も文部省通達の規程どおりの教育(600時間)は行われなかった。しかも中核となる実地修練の期間・時間数は規程では300時間であるが,実際は女学校により異なり,短いものは1週間,長くて1ヶ月であった。卒業証書は,同一女学校から女学校と看護婦養成所のものが別個に発行された。看護婦免状はその卒業証書により交付されたが,この免状交付は昭和19年度卒業生に限る1回だけであった。取得した免許は戦後,新制度看護婦免許証に書き換えができ,中には新制度になってから国家試験を 受験して新制度免許を取得した人もいた。また,女学校卒業後に改めて陸軍病院看護婦養成所や厚生学院保健婦養成に進学した人もいた。調査した8名中3名は戦後,実際に看護婦,保健婦として病院等に勤務していた。, 弘前学院大学看護紀要. 3, 2008, p.29-39}, pages = {29--39}, title = {<研究報告>青森県の看護教育史研究 : 津軽地方における女学校附属看護婦養成所について}, volume = {3}, year = {2008} }